満たされぬ欲望の継ぎ目 [Long Night]
彼の持つ一つの欲望の器が満たされると、直ちに別の欲望の器が横に置かれ、彼の思考を支配する。
そして、彼はその満たされぬ器を手に取り、いかにして短時間で満たすかを考え始めた瞬間、極度の浅眠に襲われる。
彼が浅い眠りの間に見る長い長い夢は、彼の置かれた現実を投影する第二の生活空間。登場するのは現実世界で日常的に交流のある人ばかり。
やがて彼は、やり場のない怒りと、出処の分からない焦燥感に襲われる。
行きつけのスーパーマーケットでバターが売り切れていることに怒り、単なる友人が電話に出ないことに焦りを感じる。
結局のところ、彼のこの苦しみや怒りや焦りは、直前に満たされたあの器さえなければ、きっと感じなくて済んだはずだと思うと、あの器を満たすために幾多の苦難を乗り越えたことすら、彼は虚しく感じる。
結局、生きていくことは虚しいことなんだと、彼は納得しようと努力する。
淡い記憶の彼方に [短編小説]
卒業してから20年ぶり以上になって開催された中学の同窓会の後に、インターネットネット上で同窓生のコミュニティが作られた。同期入学の1年E組限定というとても狭いコミュニティであったが、予想を超えて13名もの参加があった。クラス全48名の4分の1の人数だ。卒業してから20年という月日の経過を考慮すればこれでも十分な参加率だ。
普通に自己紹介のトピックスに始まり、思い出談義がオンライン上で繰り広げられた。その中で、担任の数学のM先生から英語のF先生に話題が移り、その続きで、英会話の外国人教師の話になった。
ボクは中学時代に外国人教師による英会話の授業があったこと自体をすっかり忘れていたが、ミセス・ヤギやミセス・J・サトーという名前がT君の書き込みにあったのを読んだ時に、急に記憶の扉が音を立てて開いた。それが同時に、ボクたち思い出さなければならない、淡い記憶をたどる旅の始まりでもあったのだ。
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ボク:
みんな、忘れてはいけない最初の英会話の先生はスーザン・ブラウンだよ!
当時、紅茶のテレビCMに出ていた、美しくて若い先生だった気がする。
半年位で次の先生に代わった記憶がある気がする。
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F君:
スーザンさん?なんき聞き覚えのある名前だけど、顔が思い出せない。卒業アルバムにも載ってなかったよ。
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R君:
スーザンさん!私も昨日実家に帰る予定があったので、まずはスーザンさんと思い、アルバムを見たんだけど、何のためにアルバムを見ようとしたのか思い出せなくて、卒アルの自分の写真を見て「何だこの髪型は!」と嘆いただけで、しまってしまいました。
ただね、ネットで検索したら「オックスフォードの女性コックス スーザン・ブラウン女史」と出ていました。
そーいえば「スーザンさんはオックスフォードでボートのコックスをやってたんです」みたいな紹介があったような気がします。残念ながら写真は未確認です。
昭和56年の早慶レガッタの際にオックスフォードとケンブリッジの対抗戦もやったらしくて、そのときにスーザンさん登場!
われわれが中等部の1年のときって昭和60年くらいでしょ?
年代的にはあってる気がします。いかがでしょうか?
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T君:
間違いない!確かにオックスフォードでコックスだった!名前はあってるか忘れたけど…。
ミセス・ヤギやミセス・J・サトーと違って西洋人って感じだった!!!
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U君:
すごい記憶力のF君でも、スーザンさんのことを思い出せないことがあるとは・・・
スーザンさん、小生は憶えているぞ !
当時の小生にとって、「金髪の外国人らしい外国人」だったと記憶しています。
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R君:
美人だった気がするが、思い出そうとするとなぜかカイヤになってしまう・・・
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ボク:
紅茶(K物産?)のテレビCMでは、ボートの練習をしている若者たちを水辺でやさしく見守る美女という設定だったと記憶しています。もちろん英国の景色。
オックスフォードのコックスだったいうのは自己紹介で言ってたかな?
初回にスーザンを連れてきたのは、F先生でしたね。
スーザンは、外国人でも比較的小柄だったような。だからカイヤとは違うかも。
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R君:
うん、小柄だったと思う。だからコックスをやってたんだよね。
でも、カイヤが記憶の邪魔を・・・
あんな怖い感じじゃなかったのに。
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F君:
嗚呼・・・どうしてもよく思い出せないんだけれども。
でもミセスサトーの前に金髪の先生が居たような気がしてきました。
・・・う~ん・・・
授業中に英語で何かを訪ねられたO君が、「ワンスモア」って聞き返したところ、金髪の先生がF先生になにやらごにょごにょと耳打ちして、F先生が、「それだと、もう一回言え!って意味になってしまうので、ワンスモアプリーズと言ってください」と指導していたような記憶が検索できました。
この先生かな?でも顔まで思い出せないなぁ。
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それにしても、あと数日で年男も終わってしまう、36歳の男子たちのクリスマスイブの話題を独り占めしてしまうスーザン・ブラウン嬢(当時)は、やっぱり忘れちゃいけない存在なんだと思う。そしてこの話題には、同じ同窓生のコミュニティの女子たちが全く無反応なのも、記憶の片隅に残るスーザン嬢の美貌への嫉妬なのかも知れない。
もし、会えるなら、当時のスーザン・ブラウンに会いたい。きっと今のスーザンは、50歳前後の少し小太りで相変わらず小柄な英国オバサンになってしまっているだろうから。
了
10分間の花火 [湾岸画報]

それは、クリスマスの花火というには、あまりにも中途半端だった。色々な意味で。
まず開催日。これは仕方ないことだけど、毎週土曜日の午後7時からと決まっているので、今年は12月22日。イブの二日前ではさすがにイブイブイブとも言わないだろう。
次に天気。冬だから寒いことは覚悟のうえだったが、小雨混じりの天候。本当に花火が上がるのか不安になる空。低い雲がかかっていなかったのがせめてもの救いか。
そして、打ち上げられる数。わずか10分間でわずか2000発。あっという間に終わってしまう。
さらに、花火の内容。冬だからか、クリスマスだからか、意図的にか、ハートだとかニコちゃんだとかキティーちゃんとか、キャラクターが多く、純粋に花火の美しさを楽しむものではない。
ここから先は個人的事情での中途半端さ。
観る場所。自宅マンションの屋上から、近くのマンションに花火が隠れない場所を探してフェンス越しに観る。フェンス越しが嫌なら、フェンスの隙間に顔を埋めるしかない。
最後に、一緒に観る人。これについてはコメントを控えよう。
10分間の花火は、その中途半端な内容でも最大限に幸福を満喫できる者のために打ち上げられる。そしてその中途半端さを冷静沈着に分析するような幸せでない者にも許容されるだけの控えめな部分も併せ持っている。
それは何より、最後の一発が、白い雪柳のような淡色の花火であることに象徴されている。









